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「メジャーリーグ問題」(メジャーリーグ構文)とは?
「メジャーリーグ問題」または「メジャーリーグ構文」とは、リーディングスキルテスト(RST)の6分野7項目のうち、「イメージ同定」のスキルを測るために考案された、特定の問題を指します。なお、「メジャーリーグ問題」や「メジャーリーグ構文」という呼称は通称であり、学術的な名称ではありません。
「イメージ同定」とは、文と非言語情報(図表など)を正しく対応させる力を指し、従来の「読解力」の文脈では、必ずしも明示的に診断・評価されてこなかったスキルです。
以下が、「メジャーリーグ問題」と呼ばれている問題です。
出典は、2016年発行の「中学生の地理」(帝国書院)の81ページです。
この問題は、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著、東洋経済新報社、2018年)で紹介され、その後、テレビ(ワイドナショー等)やインターネットメディアで繰り返し取り上げられました。その際、日常的に流暢に日本語を使いこなす方々が、右下の図(アメリカ合衆国が28.0%、ドミニカ共和国がおよそ35%と示された図)を選択する例が見られ、話題となりました。
この問題は、提示文の「メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身である」という記述を正しく読み取り、人数ではなく割合について述べられていることを理解できれば解くことができます。したがって、アメリカ合衆国が約72%と示されている図(右上)以外は条件を満たしません。
正解は右上の図のみです。
しかし、中学生および高校生を対象とした大規模調査では、中学生の正答率は12%、高校生でも28%にとどまりました。
この問題には次のような特徴がありました。
- 「識別力が高い」:この問題は、能力値が高くなるにつれて正答率が急激に上昇する特徴を持っています。能力値0(偏差値50)では正答率が10%を下回っていますが、能力値0.8(上位約21%)で正答率が約5割に達します。能力値が1.4(上位約8%)になると正答率が約8割に達します。したがって、中位層と上位層を分離する上で、非常に有効な問題であることが確認されています。
- 「悪文とはいえない」:仮に文自体が理解困難な「悪文」であれば、高い能力を持つ受検者であっても誤答が増え、識別力は低下するはずです。しかし、この問題では高い識別力が観測されています。したがって、少なくとも一般的な意味において、この文を悪文とみなす根拠はありません。
- 「否定文は中位層には認知負荷が高い」:この問題の要点は、「28%はアメリカ合衆国以外」という記述を正しく処理し、アメリカ合衆国出身者がおよそ70%であると把握することにあります。否定表現の理解と簡単な数量処理を同時に行う必要があるため、中位層にとっては認知負荷が高くなります。
以上のように、この問題は「事実について書かれた短文を正確に読み取り、それを図表と対応させる力」を測るRSTの設問として、特に中位層と上位層を識別する上で有効であることが、データに基づいて示されています。
リーディングスキルテストでは、このように、教科書や新聞、辞書・事典などを出典とし、人間による数段階のレビューを経て、かつ基準値を超えた識別力を有する問題を出題しています。
「メジャーリーグ問題」は、「アミラーゼ問題」などと共に、藤田医科大学 2026(令和8)年度入学試験問題保健衛生学部 推薦試験問題(看護学科・リハビリテーション学科)「小論文」で出題されました。
リーディングスキルテスト(RST)とは何かについては、こちらで詳しく解説しています。
「アミラーゼ構文」とは?
「アミラーゼ構文」とは、リーディングスキルテスト(RST)の6分野7項目のうち、文の構造を正確に把握する能力(係り受け解析など)を測るために考案された、特定の問題を指します。ただし、「アミラーゼ構文」という呼称はネットミームであり、学術上そのような構文が存在するわけではありません。
以下が、「アミラーゼ構文」と呼ばれている問題です。
正解は「デンプン」です。中高生を対象とした大規模調査での正答率は16.3%でした。
出典は、東京書籍「新編生物基礎」(19ページ、2016年)で、ちょうど高校入学したての4月ごろに学ぶ箇所からの引用です。
この問題が最初に紹介されたのは、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(新井紀子著、東洋経済新報社、2018年出版)で、それ以降、フジテレビのワイドナショーやAbema Prime、NewsPicksなどで度々取り上げられる度に、日頃流暢に日本語を使う、MCやアナウンサーの方々が誤ってアミラーゼまたはグルコースを選択することでも話題になりました。
この問題はこれまでリーディングスキルテストにおいて項目応答理論に基づき数千人に出題されてきました。その結果から、次のような特長がわかりました。
- 「習ったかどうか」と「読めるか」の間に関係がない:この内容を未習の中学生と、既習の高校生以上の受検者との間で、解答行動に差は見られませんでした。よって、「習っていなければ読めないはずだ」という説明は、このデータからは支持されません。
- 「識別力がとても高い」:この問題は、能力値が高くなるにつれて正答率が急激に上昇する、識別力が高いという特徴を持っています。難易度は1.08、識別力は0.87であり、能力値1(偏差値60、上位約16%)では正答率が約50%なのに対して、能力値2(偏差値70、上位約2.3%)では約90%に達します。したがって、読解力上位層と最上位層を分離する上で、非常に有効な問題であることが確認されています。
- 「悪文だとはいえない」:仮に文自体が理解困難な「悪文」であれば、高い読解力を持つ受検者であっても誤答が増え、識別力は低下するはずです。しかし、この問題では高い識別力が観測されています。したがって、少なくとも一般的な意味において、この文を悪文とみなす根拠はありません。
以上の通り、この問題は「事実について書かれた短文を正確に読み取る力」を測るRSTの設問として、特に読解上位層の中でも、最上位層とそれ以外を識別する上で有効であることが、データに基づいて示されています。
リーディングスキルテストでは、このように、教科書や新聞、辞書・事典などを出典とし、人間による数段階のレビューを経て、かつ基準値を超えた識別力を有する問題を出題しています。
「アミラーゼ問題」は、「メジャーリーグ問題」などと共に、藤田医科大学 2026(令和8)年度入学試験問題保健衛生学部 推薦試験問題(看護学科・リハビリテーション学科)「小論文」で出題されました。
リーディングスキルテスト(RST)とは何かについては、こちらで詳しく解説しています。
「アレクサンドラ構文」とは?
(最近、メディアから「アレクサンドラ構文について教えてほしい」という要望が多く寄せられるので、この記事で解説します。)
「アレクサンドラ構文」はネットミームの一種です。学術上は「アレクサンドラ構文」という構文が存在するわけではありません。「アレクサンドラ構文」は、リーディングスキルテストの6分野7項目のうち、文の構造を正確に把握する「係り受け解析」の能力を測るために考案された以下のテスト問題を指すようです。
正解は「Alex」です。
「Alexandraの愛称は(Alex)である。」
問題文は特に長いわけでも、専門性を要求するわけでもありません。読めばわかるはずの文章です。ところが、中学生の正答率は38%に過ぎませんでした。
この問題の正答率の低さへの驚きや危機感から、この問題に「アレクサンドラ構文」という名称がネット上でつけられたと考えられます。例文として、「アレクサンドラ構文も読めないような人が多いから、SNS上でのいざこざが絶えないのではないか」などがあります。
この問題が最初に紹介されたのは、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(新井紀子著、東洋経済新報社、2018年出版)です。「アレクサンドラ問題」の中学1年生~高校3年生までの正答率は以下の通りでした。
|
中1 (n=68) |
中2 (n=62) |
中3 (n=105) |
中学生平均 (n=235) |
高1 (n=205) |
高2 (n=150) |
高3 (n=77) |
高校生平均 (n=432) |
| 23% | 31% | 51% | 38% | 65% | 68% | 57% | 65% |
注意が必要なのは、中学生に比べて高校生の正答率が飛躍的に伸びているように見える点です。
残念ながら、中学生よりも高校生の方が正しく読めている、ということはありません。いくつか公立中学校で調査をすると、中学生のランダムサンプルに近いデータを取ることができます。一方、高校は入試があるため、同じ方法ではランダムサンプルは取れません。上記の結果は、「県立高校の上位3校程度の中での平均値」だとお考えください。
リーディングスキルテストの過去50万人のデータから、リーディングスキルテストの6分野7項目の能力は、どれも、小学5年生から中学3年生まではゆるやかに上昇します。一方、高校入学以降はどの高校でも(現状の教育では)上昇しないことがわかっています。(詳しくは、「シン読解力」(新井紀子著、東洋経済新報社、2025年)をお読みください。)
このことから、「アレクサンドラ構文」の成人日本人の正答率は50%を下回ると推定されます。
では、正答のAlexを選ばなかった人はどの選択肢を選んだのでしょう。
中学生の39%が「女性」を選んでいます。正答を選んだ38%よりも多いです。
つまり
「Alexandraの愛称は(女性)である。」
が正解だと思ったことになります。なぜそのようなことになったのかについては、いくつかの考察がありますが、最も説得力があるのは、こうです。
まず問題文である「Alexandraの愛称は( )である」を見て(×読み)、提示文から似たフレーズを探す。すると、「女性の名Alexandraの愛称であるが」が見つかる。2つを比較すると、どちらにも「Alexandra, 愛称」という文字列があるのに、問題文には「女性」という文字列がない。よって、空欄を「女性」で埋めればよい、と考えたのではないか、という推測です。これを、プリント教育偏重による弊害と見る人もいますし、本当にこうした説明文を読むスキルが欠落しているのではないか、と考える人もいます。
多くの先進国では、97%以上の人が文字の読み書きができると言われています。一方で、OECDのPIAAC(成人スキル調査)によれば、説明書や行政文書、ビジネス文書などを高度に読みこなせるレベル5以上は、日本では1.2%程度、フィンランドでは2.2%程度、アメリカでは0.6%程度に過ぎないと言われています。
一方、低スキル(レベル1以下)の成人は、日本では4.9%、フィンランドでは10.7%、アメリカには17.5%もいると推定されています。特に、レベル1以下の割合が大きいアメリカ、イタリア、フランスなどでは、説明文の読解力が低いことで、社会生活で不利益を被る「機能的非識字」が社会問題化しているようです。
リーディングスキルテスト(RST)とは何かについては、こちらで詳しく解説しています。
コードスイッチングと学習言語
複数の言語の間で切り替えが行われることを「コードスイッチング」といいます。バイリンガルは、2つの言語(例:日本語と英語)の間をコードスイッチングしながらコミュニケーションをしている、と考えられます。
実は日本語の中でも、コードスイッチングは必要です。
「学習言語と生活言語」でもご紹介したように、学習の場面で使われる言語(学習言語)は、生活の中で使われる生活言語とは似て非なるものです。生活言語は、誰もが自然に身に付けることのできる言語ですが、学習言語は教育を通じて身に付けることができる言語です。生活言語と学習言語では、語彙や文法も異なります。同じ言葉でも生活言語と学習言語で使われるときに意味が違うこともしばしばです。(日本語と英語のように)生活言語と学習言語では文化背景や価値観も異なります。
そのため、授業に臨むときは、生活言語から学習言語に「コードスイッチング」する必要があります。
また、学習言語の中でも、各教科ごとに言語に違いがあります。国語と数学や理科では、分野として目指すことが違います。その結果、価値観や文化が異なり、語彙や文法も変わってくるのです。学習言語間でのコードスイッチングに失敗すると、ある教科は得意なのに、別の教科には強い苦手意識や拒否感がある、という状況に陥ることがあります。一方、学習言語間のコードスイッチングに成功すると、教科の場面ごとに適切な読み解きや表現を選べ、全体的に学力が向上しやすくなります。
リーディングスキルテストでは、様々な教科の教科書、多様な新聞記事や辞書・事典項目から出題することで、学習言語間のコードスイッチングの流暢性も診断しています。リーディングスキルテストの能力値、特に6分野の平均能力値と学力状況調査との関係は、学習言語の定着とともに、学習言語間のコードスイッチングが学力に及ぼす影響の大きさも示唆しています。
(写真は、沖縄県立球陽中学校での、数学の研究授業「偽定理を探せ」の様子から)
教科書を中心に据える授業の良さ(学びの空間のフェアネスの観点から)
今、学校では、「教科書を中心に据えた授業」はほとんど行われていません。その問題点を、学びの空間のフェアネス(公正さ、公平さ)の観点からお話ししようと思います。
そもそも「教科書を開かない授業」がどこでどのように始まり、広まったのかはよくわかりません。1970年代くらいまでは教科書を開いて授業をするスタイルが主流でしたので、1980年代以降のどこかではないかと考えられます。
教科書を開かない授業の最大の問題点は、教師の知識や創意工夫と、学習者の狭い経験知に、正しさの根拠が委ねられてしまうことにあります。教師の創意工夫が、学習指導要領の中に正しく位置付けられる、科学的なものであればよいのですが、現状は必ずしもそうではありません。むしろ非科学的で思い込みに基づく授業を、管理職や評価者が「工夫があってよい」と評価する場面に何度も出くわしました。
そのような授業では、子どもたちは正しさの根拠を「教師の考え」に求め、教師の顔色を窺って物事を判断し、学びの空間からフェアネスが失われがちになります。例えばある4年生の授業でこんなことがありました。
先生「夜空にはたくさんの星が光っているけれど、実は星の光が地球に届くまで何万年もかかることがあるんですよ。」
児童A「太陽はどうですか?太陽の光も地球に届くまでに時間がかかりますよね」
先生(困惑して)「さぁ、太陽はどうかな・・・」
児童B「今先生は星の話をしてるんだよ。太陽は関係ない。太陽は今光ったに決まってる」
他の児童「そうだよ。太陽は今光ったんだよ。Aはバカだな」
(先生、児童たちの声を制止せずに、曖昧に授業を続ける。)
光の速度は一定ですから、当然太陽から地球に光が届くにも時間がかかります。約8分19秒です。このケースでは、教師がそのことを理解しないまま、星の光が地球に届くのにかかる時間の話題を取り上げ、失敗したケースです。(ちなみに速さと時間と距離の関係は、5学年(当時は6学年)で学ぶ内容なので、4年生には自力解決できない内容です。)ただ、それ以上に問題なのは、教師を困惑させた児童を他の児童が責め、学びの空間がアンフェアになった点です。こうしたことは、多くの教室で大なり小なり日常的に起きており、ほとんどの場合、見過ごされています。
「自分で問題を考えて、自分で解いてみよう」という算数の授業で、円に内接する正三角形の一辺の長さを求めようとした児童に対して、教師が「もっとよく考えてごらん」という場面に出くわしたこともあります。平方根や三平方の定理を学ばないと求めることができない長さですから、小学生には無茶な課題です。
このように、教科書を読み解かずに進める授業では、「何を根拠として物事を考えればよいか」に関するフェアネスが欠如しがちになるのです。
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2024年秋に行われた「RSフォーラム」で授業実践をした、会津美里町立高田小学校の井上雄騎先生の授業では、聖武天皇による大仏づくりについて、東京書籍「新しい社会6(歴史編)」の30-31ページの本文と資料を読み解くことが中心に据えられていました。その中で、「大仏が光っているから、金でできているんじゃないか」という児童の発言に対して、他の児童が、「本文に、『金銅の大仏』と書いてあるので、金だけでできているわけではないのではないか」とか、「資料5に『大仏づくりで使った金属の量』が書かれていて、使われた金が440kgに対して、銅が499トンなので、金の占める割合はとても小さい」などと指摘するのが印象的でした。教科書の資料に基づいて議論するやり方を教え、実践することは、フェアな学びの空間を保証することにつながります。このような空間は、空気を読むのが苦手なタイプの学習者にとっても、安心して学べる場になることでしょう。
「教科書」は子どもたちが身に付ける「学習言語」の手本として、優れた書物です。しかも小中学校では全員に無償で提供されます。そして、教科書から読み解いたことを根拠にして議論を進めることで、(教師の表情や声音に正解を求めるのではない)フェアな学びの場を創り出すことができます。
「教科書を使いきった!」と教師も学習者も満足するフェアな授業について、改めて考えてみませんか?
追記:
「教科書を中心に据える授業」とは、「教科書を絶対的に正しいものと前提とする授業」とは異なる、ということを追記しておきたいと思います。
教科書というと、戦前の国定教科書の問題、1960年代の教科書裁判、1970年代以降の教科書論争が想起され、「教科書に書かれていることが正しいかどうかなどわからない」というご意見もあるでしょう。ただ、それは教科書に限られることではなく、ウェブや新聞の情報でも同じことが起き得ます。
では、「教科書を中心に据える授業」はなぜ、相対的にフェアだと言えるのでしょう。それは、教科書に書かれた本文や資料は、授業に参加している全員(教師・学習者)が対等に参照できるからです。また、1回の授業が、教科書見開き2ページで進む、ということを授業に参加する全員が知っていれば、教師と学習者の間に、活用できる情報に関する非対称性は生じません。
一方、教師の頭の中にある「正しさ」は本人以外は参照できません。教師と学習者の間に、情報に対するアクセスに関する圧倒的な非対称性があり、それが、学びの空間のフェアネスを損なうのです。