相馬市のキセキ
読解力の育成によって
学力を伸ばす
市内の全小中学校(小学5年~中学3年)でリーディングスキルテストを受検し、読解力育成による学力向上を柱に成果をあげている福島県相馬市を当研究所の新井紀子代表理事・所長が訪問し、福地憲司教育長(当時)にこれまでの取り組みについてうかがいました。
未来を担う人材を育む
新井今日はお忙しい中、インタビューに応じていただき、ありがとうございます。
福地こちらこそ、楽しみにしていました。
新井相馬市では令和3年から5年にかけて、学力が大きく伸びました。その背景には、リーディングスキルテスト(RST)を活用しながら、先生方が子どもたち一人ひとりに合わせた教育を実践してきたことがあると思います。その成果は「相馬市のキセキ」として全国に広く知られるようになりました。

相馬市というと、東日本大震災での被害や影響が大変に大きい地域です。福地教育長は令和2年に就任されたわけですが、当時の相馬市の子どもたちの学力や教育環境について、どう受け止めておられましたか?
福地当時、相馬市の子どもたちの学力は決して高いとは言えませんでした。
新井私も東日本大震災直後に福島県内のある市で講演をしましたが、避難の影響もあって、小学生や中学生も数が減り、学力が厳しいというお話を伺いました。相馬市も同様の課題があったのでしょうね。
福地当時は「復興」が何より優先でした。学力向上にまで十分な手が回らなかったというのが実情です。
新井ただ、次の福島を支える若い人材を育てることを考えると、20年後、30年後の人材育成ということも、市長や福地教育長のお気持ちにあったのではないでしょうか。
福地まさにその通りです。これからのAI時代に必要な力を子どもたちにどうつけていくか。それが教育現場にいる我々にとって大きな課題だと思い、その解決には読解力の向上が必要だと強く感じていました。そこで新井先生に相談させていただいたのです。
読解力の育成が一丁目一番地

新井AI時代には、もっと非認知的能力が重要なんじゃないか、ディベートをする力が必要なんじゃないか、など様々な「流派」がある中で、「読解力」に迷わず焦点を当てたことに、ためらいはありませんでしたか?
福地全くありませんでした。
新井迷いなしだったのですね(笑)。
福地まずは教科書を正しく読む力が基本です。そこができてこそ、他の力も伸びていきます。プログラミングや英語も重要ですが、まずは読解力です。
新井まさに「一丁目一番地」が読解力というわけですね。
福地福島県の教育施策でもRSTを活用した読解力向上が掲げられた時期であり、まさにその流れの中でスタートしました。
新井教育予算が限られるなか、相馬市は小5から中3まで全員がRSTを受け、先生方も受検されていて、これだけの規模で予算を確保されているのは非常に珍しい自治体だと思います。多くの自治体は、英語はこの研究指定校、プログラミングはこの研究指定校、と分けていますが、相馬市はどうして「オールイン(分散せずに一つの施策にかける)」という選択になりましたか?その背景を教えてください。
福地私は一つに絞り込まないとやっていけないと考えました。あれもこれもでは成果が分散してしまいます。そして、何に絞り込むのかと考えた時に、読解力しかなかった。だから読解力一本に絞ったのです。
新井「絞り込み」には本当に勇気が必要だったと思います。
福地確かに覚悟が要りますが、相馬市の規模や市長の考えを踏まえると、重点を絞って成果を上げることで、他への波及効果も大きいと考えました。相馬市は読解力で勝負すると絞り込んで、進めていく。絶対、成果が出ると思って始めました。
市長の理解が支えに
新井本当に実質2年間で成果が出ましたね。いろいろなことを同時にやると、どれが成果につながったのかわかりにくくなりますが、相馬市はオールインだったからこそ、科学的にも効果が明らかになりました。とはいえ、導入当初は先生方から反発もあったのではないですか?
福地ありました。「黒船が来た」と言われたりもしましたし、私が相馬出身ではないということもあり、「あなたは誰?」という雰囲気も正直ありました。
新井中には「教科書なんて誰でも読める」とか、「受験に関係ないことをやって成績が落ちたらどうするんだ」といった声もあったのではないでしょうか?
福地ええ、まさにそうです。だからこそ、市長の理解と支えが大きかったですね。私の想いと行政の方針をきちんと伝えて、結果を出すことで信頼を得ようと必死でした。
教育委員と方向性を共有する
新井相馬市の教育委員の皆様は、読解力の取り組みにどう向き合っておられますか?
福地就任後、委員の皆さんとは「これからの子どもに必要な力」についてかなり話しました。私から読解力を伸ばしたい想いを伝え、市の状況や市長の考えも共有したところ、理解を得られました。議会でも賛同をいただき、委員会として進むことができました。
新井教育委員の方々は、地元の教育に長く関わってきた先輩ですよね。その方々が、聞いてくださったのはありがたいことですね。
福地本当にそうです。
現場が動ける組織づくり
新井戦後80年が過ぎましたが、教科書をきちんと読み解く授業、教科書が読み解ける自学自習、というのは、意外にわかるようでわからなかったので、そこができてなかったわけですよね。
教育のための科学研究所では、2023年にRSTの個票を使ったリーディングスキルノート(以下RSノート)を提案し、2024年度から個票の無償提供を開始しました。受検している自治体に、これらのご提案をしたところ、相馬市の教育委員会が真っ先に「待ってました」と反応してくださったことが印象に残っています。
福地私が重視したのは、「根回し」「段取り」「旗振り」、そして「組織づくり」です。教育委員会の思いを校長先生に伝え、校長先生が現場の先生方に展開できるような仕組みを整えました。その体制があったからこそ、先生方が主体的に取り組んでくれたのです。
教師もRSTを受けて読解力を把握し、指導に活かす

新井RSTを年間10万人以上が受ける中、やってみたものの成果が思うように出ない自治体も少なくありません。
例えば、RSノートの基本のやり方については、パワーポイント資料や当研究所のウェブサイトで詳しくご紹介しています。けれども、多くの学校では、その基本のやり方を試す前に「工夫」をしてしまいます。たとえば、「視写」。小学生は理科や社会科、算数の教科書から、先生が指定した箇所をデジタル黒板に映し、それを教科書から探させた後、黙読・音読・聴読し1分間で視写させます。それから、隣の席の子と相互チェックするようお勧めしていますが、一部の過程を省略したり、国語の教科書を使ったり、デジタル黒板と教科書とノートではなくプリントにしてしまったりするのです。プリントにしてしまうと「教科書のどの部分を今日は視写しましょう」という“探す”という行為がなくなってしまいますし、国語の教科書を使うと、学習言語特有の用語や言い回しを目と耳と指の動きから獲得する、というRSノートの効果が得られません。けれども、「読解力の基本は国語だと思う」や「プリントの方が子どもたちが取り組みやすいと思った」といった先生方の思い込みで、基本のやり方を試す前に変えてしまう。そして成果が出ないとすぐに諦めてしまう。一方、相馬市では大変に丁寧に基本に忠実に取り組んでくださった。だから効果が出るのが早かったのだと思います。
福地先生方自身もRSTを受けていますから、自分がいままでどのように「読んでいたか」に気づけるのです。その気づきが指導にも活きています。さらに、各校から代表の先生を集めて「研究指導員会」をつくり、そこでRSノートの活用などの研修も重ね、それを学校に戻って展開してもらっています。そうした積み重ねが、じわじわと広がって今につながっているのです。
他の自治体に比べて、広がり方が早かったという点では、教育委員会がやりましょうと言って、先生が仕方なくやる、というのではなく、「自分たちの指導にも役に立つし、子どもたちの理解にもつながる」ということを、先生自身が実感してくれたとことが、何より大きかったと思っています。
新井先生方が受検されて、自分たちの読解力を把握するところからスタートされているというのが大きいですね。自分は読めると思っている人に「読解力が大事です」と言っても、なかなか伝わらないものです。でも、相馬市のように、「自分も読めていなかった、だから子どもたちにも必要だ」と腹落ちしたうえで始められたというのは、とても強いです。しかも、それを研修で終わらせるのではなく、学校に持ち帰って共有してくださっているのが、本当にありがたいです。
教員の意識が変わることで子どもも変わる
新井「学力ばかり重視で子どもの心が荒むのでは」と心配する声もある中で、実際に子どもたちにはどのような変化がありましたか?
福地簡単に言えば、教科書を丁寧に読むようになったということです。それは、先生方の指導の成果なのですが、何より先生方の意識が変わったことが大きかったです。読解力を上げることで人生が豊かになるという私の考えを共有し、先生方もそれを子どもたちに伝えてくれています。
インプットできなければ、アウトプットできない
新井「読むより発信力が大事」という意見もありますが、読む力がなければ表現も難しいですよね。相馬市では、読むことに力を入れているが、書けないということはありませんか?
福地インプットができなければアウトプットは無理です。読解力が向上したことで、全国学力・学習状況調査の記述問題で白紙回答がかなり減りました。
新井それは大きな変化ですね。教科書の理解が、意見を述べることにつながっているということですね。
福地その通りです。
新井ただ視写だけでは不十分で、それを活かす授業設計が大切です。リーディングスキルテストの結果を踏まえ、先生たちは「ここでつまずくかも」と仮説を立てながら授業を工夫することが大切なのでしょうね。
そうすることで、子どもたちは2年くらいでメキメキと学力が上がってきたということなのでしょう。
福地先生方もRSTを受検して身をもって感じている。だからこそ子どもたちと一緒に授業できるのだと思います。
視察に行かずに基本に忠実に
新井子どもたちも先生方もRSTを受けるのは、予算確保も大変だったと思いますが、そのために何かされなかったことはありますか?
福地そうですね、他の自治体への視察には行きませんでした。それは、新井先生の著書や、目黒先生(当研究所上席研究員)のお話の方が直接的で効果的だと考えたからです。
新井そう言っていただけて光栄です。視察よりも本家の教材やリーディングスキルフォーラムのオンデマンドを使う方が効果的なのですね。
福地「視察して満足して終わり」にするより、本家から学んで咀嚼し、現場でどう活かすかを考える方が有意義です。
新井「守破離」で言えば、まず守るべき基本を実行したことが成果につながったということでしょうか。
福地おっしゃる通りです。
現場の先生方の意欲に感謝
新井短い期間でこの成果は本当にすごいことです。限られた資源でも、信念と段取り力があれば大きな成果が出ると感じました。これまでの取り組みを振り返って、どのように感じておられますか?
福地先生方への感謝しかないですね。先生方がこれからの時代に、子どもたちに身につけさせなければならない力は何かと本当に考えてくださって、それを子どもたちの指導に活かしてくれました。先生方の協力がなければ実現しなかったです。我々の思いを理解して、子どもたちに真剣に向き合ってくれた先生方のおかげで成果を出すことができました。
新井本当に先生方あってこその取り組みですね。相馬市が科学的エビデンスに基づいた教育を実践してくださったことに、心から感謝しています。
福地やっぱり学校の現場の先生方が、「自分の指導を変えてみよう」と思ってくれたのが一番です。RSノートの実施により教科書の読み取りや自学自習の質も上がってきて、「子どもたちが変わってきたな」と思えるようになってきました。結果として、RSTの結果にも反映されてきて、学力調査の結果も向上してきました。それが今、ようやく見える形になってきたという感じです。そして、絞り込んで取り組んできた結果、RSTが相馬市の教育文化として根付いてきたことを実感しています。
新井短い期間でここまでやってくださって、しかも子どもたちにも成果が出ていて、先生方も「自分の力で変えられる」と思ってくださるようになっている。これはもう、自治体としての教育改革の成功例だと私は思います。今後もぜひ、続けていただきたいですし、これから相馬市をモデルにした他の自治体の取り組みも、どんどん出てくるのではないかと期待しています。
福地ありがとうございます。これからも相馬市として、子どもたちの未来のために、地に足のついた教育を進めていきたいと思っています。そして何よりも、「教科書を読めるようにする」という基本を忘れずに、子どもたちの力を育んでいきたいです。
新井本当にありがとうございました。これからも応援しています。
福地こちらこそ、ありがとうございました。
